いつかまたね 交点の先で

この歴史を後世に語りたいのです

“friends”じゃ足りない“homies”

突然だが、嵐の新アルバム「Are You Happy?」より「To my homies」の話をしたい。今回のアルバムで一番楽しみにしていたのは、ソロ曲とは別にメンバーそれぞれが担当した監修曲があるということだった。そもそも今回のアルバム「Are You Happy?」、公式では、“「Happy」というテーマのもと、「嵐が思う今の嵐」を表現し、バラエティー豊かな楽曲が揃った一枚”という紹介をされている。趣旨を聞いただけで天才なのかよ…と思ってしまうところだが、それぞれがスーパーバイザーを務めた曲も同様のテーマに沿って作られているというから最高の極み。STで翔さんが自分の監修曲について「ラップっぽいラップをしたいか、メロディっぽいラップをしたいか」の希望を訊いてたときからずっとずっとわくわくしていた。わたしは翔さんの書いたリリックを嵐みんなが歌う曲が本当に好きで好きで堪らないのだ。まず「under the supervision of Sho.S」という文字の信頼感凄くない?スーパーの生鮮食品売り場で見る“国産”という文字並の安心感。信頼と実績の櫻井翔

そんな櫻井翔監修曲「To my homies」を聞いてわたしが感じた第一印象について語ってみたいと思う。

 

この曲を語る上で最大のポイントは曲名にある。そう、“homies”という単語である。「homie」。スラングでの意味は「友人」「仲間」。直訳すると「僕の仲間たちへ」というようなタイトルになるので、わたしのような素人は“friends”とどう違うねん、と思ってしまう。が、より深く見ていくと、「homie」には、「色々な共通点がある友達」というようなニュアンスが含まれていることが分かった。「homie」は別のスペルで書くと「homey」で、元々、アフリカ系アメリカ人から生まれた同郷の仲間を指す「home boy」というフレーズの略なのだという。地元の仲間、ダチ、そんなニュアンスだろうか。Hip Hopではよく使われるスラングで、思い返せば「素晴らしき世界」のラップ詞でも使われている。

 

I wanna say something 2 all my homies
僕はまだ旅の道中
Everything is gonna be all right
色を加え塗り描いていく 近い将来

 

「Everything is gonna be all right」と言えば、すぐにピンとくる曲がある。「ペンの指す方向 ChapterⅡ」だ。社会に出た友人への応援歌であり、翔さんのアイドルとしての矜持を示した曲でもある大切な大切なリリック。でも、今回の曲がペンの指す方向の延長線にあるかというと、多分、ちょっと違う。だって、これは「今の嵐」の歌だから。そんな単純なものではないんだろうなと思う。ただ、ここでの“homies”が“friends”よりももっとずっと深い想いが込められた言葉なのは間違いなくて。言葉では語り切れないほど大切な「同じバックグランドを持つ仲間」っていう、特別な意味がそこにはあるんだと思う。

 

なんでだろう まったくもう

顔見たくなる 時間経つと

いつか共に分かち合った苦労

寄り道感覚 散策路(yeah yeah)

狭い部屋 いつかはデカい世界 羽ばたく日を描いては

語りあかし続けていた one day

未完成の日々がいま大切

 

 この部分のリリックが特にエモくて泣いた。そりゃまあ“friends”じゃ足りないわな、“homies”だわなって呻きながらめちゃくちゃ泣いた。そして、翔さんが歌割を考えるときに、このリリックを「ここは相葉くんだな」って最初にあてはめたという事実が尊すぎてさくらばクラスタとしてのわたしも号泣した。深読みだいすきオタクなので、もっと突っ込んで解釈したい気持ちもあるんだけど、それよりも先に胸がいっぱいになってしまった。

 

結局のところ、「素晴らしき世界」のリリックに戻って考えると、「Everything is gonna be all right」ってことなんだと思う。すごい雑なまとめに見えるけど、でもやっぱりそういうことなんだと思う。なんかね、最近Twitterを見てると胸がざわってなる言葉に触れてしまうことが多くて、ひとりでもやもやしてたんだけど、翔さんに着いていけば間違いないって改めて思えた。だって、嵐は痛みも楽しみも光も暗闇もすべてを受け入れた上でそれでも「愛を信じてる」って歌えるアイドルなんだよ。こんなに強くてまっすぐなひとたちを好きになれたわたしって超幸せ者だなって。ほんとうにあいむはっぴーだよ、翔さん。

ということで以上「To my homies」に寄せた自担への何億回目かのラブレターでした。

 

女の子は砂糖とスパイスと素敵なものぜんぶ、男の子はカエルとカタツムリとこいぬのしっぽ、さて、それでは、にのみやくんは何で出来てるでしょう?

という話をします。それにしてもタイトルが長いな。

言わずもがな、元ネタはマザーグース(英米で親しまれている伝承童謡)の『What Are Little Boys Made of?』より。椎名林檎さんの『女の子は誰でも』という曲の中で引用されていることでも有名ですね。

 

 

男の子って何で出来てる?
男の子って何で出来てる?
カエルにカタツムリに
こいぬのしっぽ
そんなもので出来てるよ

女の子って何で出来てる?
女の子って何で出来てる?
お砂糖にスパイスに
素敵なものぜんぶ
そんなもので出来てるよ

 

 

このマザーグースを踏まえた上で、本日めでたく33歳を迎えたにのみやくんが何で出来ているのか、ポエミーに考えてみます。ただの自己満足なので、ものすごくお暇な方だけ、お付き合いください。

 

 

“What is Nino made of?”
――にのみやくんって何で出来てる?


・こいぬのしっぽ
にのちゃんも男の子だからね。

・ビー玉
それも、ラムネ瓶の中に入っていて、いっとうきれいに見えるビー玉。掴めそうで、掴めない。

・レモネード
甘酸っぱい青春の残り香。

・紅茶
ダージリンティー。ストレートの、透明感のあるうつくしい橙色。ミルクティーという説も捨てがたい。

・バニラエッセンス
あま~い匂いにまんまと誘われて、なめると実は苦かったりする。

・哲学書
むずかしいことがいっぱい書いてあるよ。

・桔梗
つぼみが風船みたいだから英名は“balloon flower”。そんなところもぴったりだね。

・かすみ草
単純にわたしが好きだからです。

・ペパーミント
♪ペパーミントと涙の味がした~。ちなみに双子座と相性が良いアロマはバジルらしいよ。豆知識。

薄荷キャンディー
飴じゃなくて歌の方。いま、わたしがにのちゃんに歌ってほしい楽曲ナンバーワン。

・妖精の粉。
きらきらと降りそそぐ光のつぶ。月並みな言い方だけど、もはや彼はピーターパンだとしか思えない。

シリウス
今度は歌じゃなくて星の方。冬の夜空にまたたく星の中でいちばん明るい星。

・ハンバーグ
昔から変わらない彼の大好物。リアルににのちゃんの血となり肉となっていることだろう。\ハンバ~~~~グ!/
ネタ切れしたのがもろ分かりである。

 

 

 

……何だこの記事。

とりあえずにのちゃんを形成しているものたちをイメージしてみた感想は、何か全体的においしそうというものだった。変態臭がすごい(わたしの)。もちろん、33歳の成人男性をラブリーとかキュートだとかそういう風にだけ形容する気はさらさらない。寧ろ、わたしがにのちゃんのどこが好きかと言うと、世の中を俯瞰で捉える鋭い観察眼とか、頭の回転が速くて聡明なところとか、飄々とした顔で笑いながら心の底に情熱や哲学を秘めてるところとか、ラジオでよくわからないへりくつをこねくりまわしては楽しそうにひとりで笑ってるところとか、自分たちを語るときに「神格化」という言葉を使うところとか、人と人の間を春風のようにすり抜けて、するりと懐に入ったかと思えば、ふらりと躱していく、自由気ままなところだとか。とりあえず、繊細で複雑で、言葉にするのがむずかしいところが好きなのです。淡くてやさしくてちょっぴり儚げで、にのちゃんが纏うそんな雰囲気をすこしでも表現出来てたらいいなあと思います。

 


こいぬのしっぽ、ビー玉、レモネード、紅茶、バニラエッセンス、哲学書、桔梗、かすみ草、ペパーミント、薄荷キャンディー、妖精の粉、シリウス、そして、ハンバーグで出来ているにのみやくん。

改めて、33歳のお誕生日おめでとうございます。32歳のにのちゃんはとんでもなく働きマンでしたね。色んな役を演じるにのちゃんを見れて幸せでした。わたしが嵐を好きになったきっかけはあなたの俳優業だったので、そういった意味でも本当に感謝しています。

33歳のにのみやくんにとって、この世界がやさしいものでありますように。これからも末永くだいすきです。

もう、桜が舞い落ちる。

今週のお題「卒業」

 

この春、大学を卒業しました。明確な目的意識があるわけでもなくただ緩く何となく過ごした四年間は、まさにモラトリアムと呼ぶに相応しい季節でした。幼い頃に描いた夢は宙ぶらりんのままで、四月からは志望していた業界とは全く異なる会社に就職します。

卒業式の前夜に、わたしは「ペンの指す方向 Chapter1」を聞きました。幼稚舎から大学までの長い年月を慶應で過ごした翔さんほどには、学校という場所にアイデンティティを抱いていないはずだけれど、これが自分の人生最後の卒業式になると思うとそれなりにセンチメンタルな気分になるものです。「もう、桜が舞い落ちる」「動き続けた長針と短針は、振り返ってみるといやに短期間だった」。あの頃の翔さんが綴った言葉がきらきらと輝く硝子の破片のように、今のわたしの心に刺さりました。


今のわたしの一番大きな夢は、翔さんとお茶でもしながら談笑できる人間になることです。現実的に考えると実現可能性が皆無であるということはよく分かっています。そういうことではないのです、ただ、憧れのアイドルの前に立っても、恥ずかしくないような人間になりたいのです。もし、今この瞬間に翔さんが目の前に現れたらわたしは逃げます。空っぽな自分が情けないから。“MY LIFE IS MY MESSAGE”と胸を張れるような生き方をまだ出来ていないから。翔さんから逃げなくても良いくらいに、自分のことが好きになれたらいいなと思います。

 

 

櫻井翔さん、あなたはわたしの憧れです。あなたのようになりたくて堪らないわたしは、きっと、永遠にあなたのようにはなれません。だからこそ、あなたが好きなのだと思います。

だけどね、翔さん。「この人に会っても恥ずかしくない人間になりたい」と思える、云わば人生の道標のような存在に出会うことができたことは、わたしにとって、ほとんど奇跡のような僥倖であるように思うのです。そして、それがあなたであることが本当に嬉しい。憧憬とか尊敬とか、そんな口先だけでなくて、もっと確かな形であなたというひとに少しでも近付けるように、まずは有言実行あるのみ。あなたの生き方に憧れるばかりじゃなくて、いつか、わたしの生き方をあなたに誇ることができますように。

いざ、共に、未来へ。

アイドルを物語消費するわたしたちとストーリーテラーとしての櫻井翔 ~34歳の櫻井翔さんに寄せて~

人は誰しもが自分の生きる道の中に物語をつくる生き物だと思う。

博士の愛した数式』で知られる作家の小川洋子氏は『物語の役割』という著書で以下のように語っています。

たとえば、非常に受け入れがたい困難な現実にぶつかったとき、人間はほとんど無意識のうちに自分の心の形に合うようにその現実をいろいろ変形させ、どうにかしてその現実を受け入れようをする。もうそこで一つの物語を作っているわけです。あるいは現実を記憶していくときでも、ありのままに記憶するわけでは決してなく、やはり自分にとって嬉しいことはうんと膨らませて、悲しいことはうんと小さくしてというふうに、自分の記憶の形に似合うようなものに変えて、現実を物語にして自分のなかに積み重ねていく。そういう意味でいえば、誰でも生きている限りは物語を必要としており、物語に助けられながら、どうにか現実との折り合いをつけているのです。

人間は生きている限りは誰でも傍らに自分の物語を携えている。「そして、作家は特別な才能があるのではなく、誰もが日々日常生活の中で作り出している物語を、意識的に言葉で表現しているだけのことだ。」と小川氏は言う。

この一文を読んだとき、わたしは、作家が「自分の物語を意識的に言葉で表現する人」であるならば、アイドルは「自分の物語をその人生を通して多くの人と共有する人」ではないかと思いました。

 

そう、アイドルと物語は切っても切り離せない関係にある。

 

例えば、ジャニーズ楽曲大賞という年に1度ファン主催で行われている非公式の企画があります。その年にジャニーズ事務所所属のアーティストが出した楽曲の中で自分が良いと思ったものにファンが投票する、いわゆる楽曲版の人気投票のような企画なのですが、その結果発表の際にはランキングだけでなくファンの楽曲に対する熱いコメントにも大きな注目が集まります。そのコメントを見ていると、ファンがアイドルの楽曲について語るとき、その曲が持つ「物語性」を抜きにしては語ることができないのではないかと思わされるのです。

今回のジャニーズ楽曲大賞2015で楽曲部門の1位に輝いたのは、嵐の『愛を叫べ』でした。この曲に寄せられたコメントを見ると、「かわいい」「明るい」「振り付けがいい」というような感想と共に「嵐らしい」という言葉が多く並んでいます。この「嵐らしさ」というものが具体的に何を指すのかということはここでは置いておきますが、おそらく嵐がこれまでにリリースしてきた『Love so sweet』や『Happiness』のようなポップでキャッチーな楽曲、そして嵐自体が持つ「仲が良くて楽しそう」という印象から形づけられたものだと考えられるでしょう。そして、「国民的アイドルである嵐が自分たちのマドンナ的存在だった花嫁に『お前は今でもアイドルさ みんな大好きだぜ』と歌うウェディングソング」という構造にときめきを見出している人も少なくありません。このようなコメントは厳密に言うと楽曲自体への感想ではなく、楽曲とそれを歌うアイドルが持つ「物語」への感想だと言えます。

ちなみに楽曲部門の2位はV6の『Wait for You』でしたが、歌詞やメロディーや振り付けなどの魅力に加えて、「デビュー20周年を記念するアニバーサリーソング」という「物語」がその人気を後押ししたことは間違いないでしょう。

 

さて、ここからがようやく本題ですが、今回、わたしは、アイドルエンターテイメントの本質が「アイドルの成長ストーリーをコンテンツとして消費・体験する」ということにあると仮定します。この考え方をすると、当然、大衆がひとりの人間の人生をコンテンツとして消費することは果たして許されることなのか?という問いが浮上するだろうと推測できます。しかし、その功罪(特に罪の方)について、すぐに答えを出せる人がこの世にいるとは思えないし、わたしも今回はこの点について議論するつもりはないということをここで前置きしておきますね。


アイドルの魅力とは、アイドルの紡ぐ物語を読んでいく営みにあるとするならば、嵐に惹かれる多くの人も彼らの「物語性」に魅了されていることは間違いないでしょう。そして、その「嵐」という物語のストーリーテラーの役割を果たしているのが、櫻井翔という人であり、彼の書くラップ詞なのではないかと思います。

わたしは、彼の書くラップ詞は大きく二つに分けることができると思っています。一つが、楽曲の世界観の中の情景を描写する「フィクションのリリック」。そしてもう一つが、櫻井翔・そして嵐としてのリアルな言葉を発信するための「ノンフィクションのリリック」です。

そして、彼が後者の「ノンフィクションのリリック」を節目節目で書き残してきたことが、結果的に「嵐」という物語をより魅力的な形に再構築しているのではないか、というのがわたしの考えです。

 

ここで、わたしが勝手に「ノンフィクションのリリック」に分類しているラップ詞のうち、特に代表的なものを挙げておきます。

『Thema of ARASHI』(2002年)※SHOW名義
『ALL or NOTHING ver.1.02』(2002年)※SHOW名義
『La tormenta』シリーズより、『La tormenta 2004』(2004年)
『Anti-Anti』(2004年)☆ソロ曲 ★未音源化
『スケッチ』(2004年)
『COOL&SOUL』(2006年)
『Hip Pop Boogie』(2008年)☆ソロ曲
『Re(mark)able』(2008年)
『5×10』(2009年)
『Attack it!』(2009年)
『Rock this』(2011年)
『Take Off!!!!!』(2014年)
『Hip Pop Boogie Chapter2』(2015年)☆ソロ曲 ★未音源化 ←new!

あとはここに『ペンの指す方向』シリーズなどの音源化されていない曲、そして『ファイトソング』(2007年)『エナジーソング~絶好調超!!!!~』(2011年)あたりを付け加えればほぼ完璧でしょうか。(厳密に言うとファイトソングにラップ詞はないけどね!)

 

この記事を書くにあたり、わたしは大塚英志氏の『定本 物語消費論』という本を読みました。「物語消費」とは、ビックリマンシールシルバニアファミリーなどの商品にみられる消費形態です。大塚氏は、それらは商品そのものが消費されるのではなく、それを通じて背後にある「大きな物語」(世界観や設定に相当するもの)が消費されているのだと本書で指摘しています。

難しい概念なので少し詳しく説明しておくと、80年代に子どもたちの間で爆発的なヒットとなった「ビックリマンチョコレート」という商品は、<チョコレート>としての使用価値は皆無でした。子どもたちはその商品を買うと、<ビックリマンシール>を取り出して、<チョコレート>はためらいなく捨てていたのです。当時、「ビックリマン」というマンガやアニメといった原作があったわけではありません。では、どうして子どもたちはそんなに「ビックリマンチョコレート」に熱中したのか。そこには以下のような仕掛けがありました。

①シールに一枚につき一人のキャラクターが描かれ、その裏面には表に描かれたキャラクターについての「悪魔界のうわさ」と題される短い情報が記入されている。
②この情報は一つでは単なるノイズでしかないが、いくつかを集め組み合わせると、漠然とした〈小さな物語〉―キャラクターAとBの抗争、CのDに対する裏切りといった類の―が見えてくる。
③予想だにしなかった〈物語〉の出現をきっかけに子供たちのコレクションは加速する。
④さらに、これらの〈小さな物語〉を積分していくと、神話的叙事詩を連想させる〈大きな物語〉が出現する。
⑤消費者である子供たちは、この〈大きな物語〉に魅了され、チョコレートを買い続けることで、これにさらにアクセスしようとする。

 

消費者である子供たちは、この〈大きな物語〉の体系を手に入れるため、その微分化された情報のかけらである〈シール〉を購入していたわけである。

そしてこのような消費行動を反復することによって自分たちは〈大きな物語〉の全体像に近づけるのだ、と消費者を信じこませることで、同種の無数の商品(「ビックリマン」のシールなら七七二枚)がセールス可能になる。

 

消費されているのは、一つ一つの<ドラマ>や<モノ>ではなく、その背後に隠されていたはずのシステムそのものなのである。しかしシステム(=大きな物語)そのものを売るわけにはいかないので、その一つの断面である一話分のドラマや一つの断片としての <モノ>を見せかけに消費してもらう。このような事態をぼくは「物語消費」と名付けたい。

 

わたしは、アイドルに関してもこの「物語消費」がなされているように感じます。消費者(=わたしたち)は、アイドルが日々提供してくれる〈小さな物語〉を消費することで、実はその裏に隠れた〈大きな物語〉(物語の設定、世界観)を消費している。消費者は、〈大きな物語〉への直接のアクセスは許されていない。その代わり、〈小さな物語〉という断片からそれを覗くことができる。ここでいう〈大きな物語〉が「嵐」という物語だとするならば、そこにアクセスするための〈小さな物語〉は、翔さんが今まで書いてきた「ノンフィクションのリリック」なのではないか、と。

わたしが嵐のファンになったとき、一番楽しくて一番ドキドキしたのは、翔さんが今まで書いてきた「ノンフィクションのリリック」を通して、これまでの「嵐」の物語を読むという営みでした。まさにわたしこそが嵐を「物語消費」している張本人なのです。大塚氏によると、「物語消費の世界では、その世界を管轄する管理人=ゲームマスターが必要になる」そうですが、わたしにとってのゲームマスター(≒ストーリーテラー)は櫻井翔なのです。


翔さん。わたしはどうしてこんなにあなたの書くラップ詞が好きなのかとずっとずっと考えてきました。その答えはまだ上手く言語化することができなくて、それはこの記事の乱雑さを見れば一目瞭然だと思います。だけど、たぶん、わたしはあなたの物語を読みたいんだと思います。あなたの、そして「嵐」の物語を読みたくて読みたくてしょうがないわたしにとって、あなたの書くラップ詞はどれもこれもすべてが宝物みたいな言葉たちなんです。

2015年、33歳の翔さんが『Hip Pop Boogie』をアップデートしてくれたことに、わたしの心は震えました。『Hip Pop Boogie Chapter2』という曲は、そのリリックは、わたしの希望です。大の大人も、大きな愛を抱いたり、願いたい未来をまた描いたりできるんだね。その瞳の中にある未来をわたしも見たいと願うのは、わがままかも知れないけれど。あなたの背中を追いかけながら、これからも一緒に歩いていってもいいかな。


櫻井翔さん、34歳のお誕生日、おめでとうございます。

あなたのことが、大好きです。

ジャニーズ楽曲大賞2015に投票しました

先日、ジャニーズ楽曲大賞2015に投票した。この企画の存在自体は数年前から知っていたのだが、実際に自分が投票したのは今回が初めてだ。前回のジャニーズ楽曲大賞2014の際は投票には参加していないのにも関わらず、Twitterアカウント上での結果発表をリアルタイムで見ていた。次々に発表されていく結果自体も面白かったが、特に興味深かったのは、ランクインした楽曲に対して寄せられたコメントの数々。もともと、わたしは他人が好きなものについて語る文章を読むのが大好きなのだが、その点、ジャニヲタの文章力ってすげえよな、最後まで魅力たっぷりだもん。あの熱いコメントたちを再び読むことができると思うと、今回の結果発表が待ち遠しくてたまらない。そういうわけで、わたしが投票した曲とコメントについても備忘録として残しておきたいと思う。ところで、好きなものを好きな理由を説明するのって超難しいね。コメントを考えている間ずっと「容易く好きな理由を言語化できてしまう程度の魅力ならこんなに好きじゃないんだよ!!!」って体中叫んでた。

 

楽曲部門

1位:「Sakura」

年頭のシングルにしてアルバム、ツアーのトップを飾った楽曲。死と再生。不老不死。“アイドルは永遠の夢を見るか?”そんな問いに「いつか 僕らが世界を変えていくなら またどこかで生まれてく 与えられた現在を 託された未来へ」と答えてくれたのが2015年の嵐だったと思う。

2位:「miyabi-night」嵐

人生の機微や四季の移ろいに対して感じる優美で繊細な情趣を歌った楽曲。まさに「もののあはれ」。うっとりする程に美しい言葉たちが紡がれているのに、脳内再生されるのは常に「Ah  Ta-Li-La-Li-La…」という箇所だから不思議。永遠に響け。Ta-Li-La-Li-La。

3位:「Rolling days」嵐(櫻井翔

今までとは違う「自分では選ばない感じの曲」として選曲されたソロ。まるで失楽園のような廃退的な恋を描いた世界観を“櫻井翔が体現するなんて、オタクが興奮しない訳がないのだ。ステージ上で華麗なドラムラインを披露しながらラップを刻む彼は、確かに覇王色の覇気を纏っていた。

4位:「Wait for You」V6

20周年のV6は他G担のわたしから見ても震えるほど格好良く、特に『Wait for You』は最高だった。こちらに手を伸ばしながら「You」と繰り返す姿は、共に歩んできたファンをそっと掬い上げるような優しさを感じさせるのに、「あの上 もっと もっと上」と歌う彼らの力強さといったら、ずるい。

5位:「ふりむくわけにはいかないぜ」関ジャニ∞

決断する人の背中を押してくれるこの曲は、とびきり力強くてとびきり優しい。「苦しむために生きないで あなた自身を愛してくれ」「夜風が僕に告げたんだ 渡せよ 自分にラブレターを」聞き終わる頃にはあなたも彼らと一緒に叫んでいるに違いない。絶対!!!ふりむく!!!わけには!!!いかないぜ!!!!!!

 
番外編:他に投票したかった楽曲
「ユーモアしちゃうよ」SMAP
「華麗なる逆襲」SMAP
「東京ドライブ」TOKIO
「この手のひらに」嵐
「愛を叫べ」嵐
「ユメニカケル」嵐
「心の空」嵐
「三日月」嵐
「イン・ザ・ルーム」嵐
「日本よいとこ摩訶不思議」嵐
「チュムチュム」NEWS
「前向きスクリーム!」関ジャニ∞
「CANDY MY LOVE」キャンジャニ∞
「勝手に仕上がれ」関ジャニ∞
「韻踏ィ二ティ」関ジャニ∞
WASABI関ジャニ∞
「記憶」渋谷すばる
「ココロオドレバ」渋谷すばる
「Chau♯」Hey!Say!JUMP
「キミアトラクション」Hey!Say!JUMP
「やっちゃった!!」舞祭組

 

MV部門:「KAGUYA」NEWS

うつくしい。その一言に限る。完璧に作り込まれた「美」の世界に息ができない。他G担としては羨ましくなるくらいなのだが、たぶん、いや、絶対に、この曲の世界観を体現できるのはNEWSだけなのだ。ところで、「風の噂に聞くほどの月のように美しいひと」って、むしろ彼らのことじゃないですか?

 

未音源化部門:「Hip Pop Boogie chapter Ⅱ」櫻井翔

2008年、まるで世界に向けて宣戦布告するかのように高らかに謳った『Hip Pop Boogie』を、2015年、宮城の地で自らアップデートしてくる“櫻井翔”のずるさについて何万年でも語りたい。彼の紡ぐ言葉たちに対して“成長”という表現を用いるのはあまりにも陳腐な気もするが、あの頃とは格段に違う余裕を感じさせる歌詞は愛と慈しみに溢れていた。とはいえ、決して丸くなった訳ではないことは自明で、「後追いどもみなまず至らず」なんて尖ったことも言ってみせるから、もう、堪らない。あの頃に彼が描いた夢が現在で、だけど、その瞳はまたその先の未来を描いてる。嵐を巻き起こすlyrical idolに着いて行けば間違いはないのだと改めて思わせてくれた一曲だ。

 

現場部門:「ARASHI LIVE TOUR 2015 Japonism」

日本、そして、ジャニーズを改めて自らの目で見て振り返る“原点回帰”をコンセプトに制作されたアルバム『Japonism』を引き下げて行われたツアーは、全ジャニオタに一度は見て欲しいと思うほどに最高だった。今回の“原点回帰”を経て、彼らが何処に向かうのか、本当に楽しみで仕方ない。

 

コンビ部門櫻井翔相葉雅紀

櫻井翔の可能性を広げ続ける男・相葉雅紀と、相葉雅紀が唯一甘えることができる男・櫻井翔。このふたりが一緒にバカなことをして楽しそうに笑っている姿を見ると、言葉にできないほどの多幸感が胸にあふれて止まらない。嵐の中では彼らだけが第一子長男だという事実も堪らなくて、甘えつつ甘やかしつつ、持ちつ持たれつ、そんな雰囲気が大好きです。

 

自担部門櫻井翔

この部門に関しては、変わる兆しがまるでない。

 

 

と、仕事が遅いことに定評があるわたしがこの記事を書いている間に、ジャニーズ楽曲大賞Twitterアカウントでは結果発表が始まってしまった。それにしても、楽曲大賞の中の人の仕事の早さには全く頭が上がらない。各日のジャニーズ楽曲大賞発表内容としては、1/22(金)21時頃~:楽曲部門76位までのプレ発表、1/23(土)21時半頃~:楽曲部門1位~75位までの本発表、1/24(日)22時頃~:MV部門・現場部門・未音源化部門、1/25(月)22時頃~:コンビ部門・自担部門 というスケジュールが予定されているそうだ。さて、上位に輝くのは一体どの楽曲なのか。そして、ジャニオタの皆さんの熱いコメントから新たな良曲に出逢えることも楽しみにして結果発表を見守りたいと思う。

【ジャニヲタ文芸部 第0回お題「担当」】 短歌連作「未来をまた描いてる」

ichigonokimi.hatenablog.jp

 

Twitterで素敵な企画を見つけた。実際に大学で文芸部に所属していた身であるわたしは当たり前のように惹かれた。ジャニヲタ文芸部(仮)。ああ、なんて素晴らしい響き。語尾に付いた控えめなカッコカリまで含めて愛しい。記念すべき第0回のお題は「担当」。四六時中自担のことばかり考えているわたしは参加を決意した。

はずだった。

 

気づけば作品募集締め切りの日であったハロウィンをとうに過ぎ、暦は11月。あれだけハロウィンムード一色だった街はすでに来月に控えるクリスマスを見据えて、きらきらとイルミネーションが眩しい季節……いや、まだ11月だってば。そんなわたしの突っ込みも待たず無慈悲に時間は流れる。何が言いたいかというと、締め切りに間に合いませんでした。完全なる遅刻です。本当に申し訳ありませんでした。

締め切りに間に合わなかったので、正式な参加資格はありません。ですが、折角この機会に生まれた作品なので、瓶に詰めて静かにネットの海に放流することをどうかお許しください。わたしの担当である櫻井翔くんをお題に詠んだ短歌です。

 

 

 

● 短歌連作「未来をまた描いてる」

 

桜咲く 少年はもう教室に戻れはしない 桜、舞い散る

種を蒔く今日の日もまた種を蒔く“MY LIFE IS MY MESSAGE”

無い道は拓けばいいと嘯いてマイクを握り紡ぐリリック

青二才ぶら下げたまま踊ってたあの夏の日に仕舞ったピアス

浴槽で息をひそめて考える えいえんに夢みる方法を

高潔な瞳の中にある宇宙 ながれ星らが下界を目指す

ああ月が綺麗ですねえでもそれじゃそれだけじゃ駄目、僕はリアリスト

革命を起こすはいつも青二才 光を掴むぼくらが光

世の中を揺るがす魔法を知っているキラーチューンが残す爪痕

あの頃に描いた夢が今でありされど未来をまた描いてる

 

 

 

 

以上です。次回は遅刻しないように頑張ります。

 

 

自担に教養で殴られた~嵐の新アルバム『Japonism』リード曲『心の空』のラップ詞についての考察~

自担に教養で殴られたことはありますか。わたしはある。

嵐の通算14枚目となるオリジナルアルバム『Japonism』が今月21日に発売される。このアルバムのリード曲『心の空』は、布袋寅泰氏が作詞・作曲・編集を手掛けたことでも話題だ。テーマは「外から見たニッポン」。先日、各WSでMVが解禁され、その感想で朝からTwitterが賑わっていたことは記憶に新しい。そして、この曲の一部分には櫻井翔さんが作詞を手掛けたラップ詞があるのだが、そのリリックを始めて見たとき、わたしは「自担に教養で殴られた」と思ったのである。

Here is El Dorado 囲まれる碧

他の空と繋ぐ“Hey,Hello!”

響くこの唄を 一つに歌おう

以って貴きこの和を(この和を)

巡り巡りゆく 春夏秋冬

ヤオヨロズ集合(We are like 五奉行

ずっと不動の地へと ゆこう

スサノヲ散らす風防(you know)

 曲自体のテーマが「外から見たニッポン」ということで、ラップ詞でもニッポンについて歌われていることが分かる。そして、この限られた文字数の中に翔さんの教養と言語センスがこれでもかというくらいに詰め込まれていることにわたしは衝撃を受けたわけだが、ここでは、己の脳内を整理するために個人的な考察を綴っていきたいと思う。近いうちにいずれかのメディアで翔さん本人からの解説があると信じているので、それまでは自由気ままに解釈させて頂く所存だ。

 

Here is El Dorado 囲まれる碧

“El Dorado(エル・ドラード)”とは、スペイン語で「金箔をかぶせた」、「黄金の人」の意であり、大航海時代南アメリカアンデス地方にあるとされた、伝説の「黄金郷」を指す。そして、ここでは、「黄金郷」――「黄金の国」と呼ばれたジパング、すなわち日本のことを表していると思われる。つまり、この“El Dorado”という単語には、彼が大学時代に第二言語として専攻したスペイン語の要素だけでなく、大航海時代を始めとした世界史の知識、そして、マルコ・ポーロの『東方見聞録』についての知識が詰まっているというわけである。日本、ジパング、黄金の国、黄金郷、“El Dorado”。まるで連想ゲームのような発想のジャンプにより、彼の言葉は紡がれていく。

また、その後に続く“囲まれる碧”という表現からも、周囲を海で囲まれた島国である日本についての描写がなされていることが分かる。あおはあおでも、「青」ではなく「碧」である点にも翔さんのこだわりを感じる。ちなみに「碧」には、青く澄んで見える石の意があり、青色というよりは青緑色に近いイメージだろうか。個人的に「青い海」より「碧い海」の方が、島国を囲むエメラルドグリーンの美しい海が連想されて、より鮮やかな表現のように感じた。

他の空と繋ぐ“Hey,Hello!”

響くこの唄を 一つに歌おう

“他の空”とは、外国の空であろうと推測される。挨拶大事。彼が紡ぐリリックには「空」と「海」が読み込まれていることが多いのだが、今回も先程の「碧」≒「海」の対比として「空」が登場している。『心の空』というタイトルからも分かるように、この唄は「地球という同じふるさとで巡り合った僕たちは、どんなときもどんなに離れていても、同じ空を心に持っているんだよ(大意)」ということを歌っているため、この二行は曲自体の世界観を端的に表しているのではないだろうか。

以って貴きこの和を(この和を)

この一文は、かの有名な聖徳太子が制定したとされる、十七条憲法の第一条の「和を以て貴しと為す」という言葉の引用であると考えられる。ちなみに十七条憲法は、『日本書紀』に全文が引用されているものが初出であるため、『日本書紀』からの引用であるとも言える。「和を以て貴しと為す」とは、人々がお互いに仲良く調和していくことが最も大事であるという教え。めちゃくちゃざっくり訳すと「平和尊い」って感じだろうか。本当にざっくり。

巡り巡りゆく 春夏秋冬

日本の四季。曲の歌詞自体にも「春待ち桜 月夜の花火 燃える夕焼け ふわり初雪」と四季の移り変わりを歌う箇所がある。清少納言も『枕草子』で「春も夏も秋も冬も、みんなちがって、みんないい(大意)」って日本の四季折々の自然の美しさを絶賛していたので、「外から見たニッポン」を主題とする唄で四季について歌うのは適切だと考える。

ヤオヨロズ集合(We are like 五奉行

出ました“ヤオヨロズ”。日本の神道では、自然のもの全てに神が宿っていると考えられており、この極めて数多くの神のことを「八百万(ヤオヨロズ)の神」と言う。山にも海にも田んぼにも台所にもトイレにも米粒の中にさえ神様がいるんだ!ありがたや~!という考え方。実は、この“八百万”、2008年の翔さんのソロ曲『Hip Pop Boogie』にも登場している。

 きっとずっと 一方通行

悪いが俺 先急ぐぞ

(集合)津々浦々 八百万の長

万物に宿りし神々の子

人の上 下に人作らぬなら

俺がその天の頂いただく

「しばらく…」とかでなく uh

いままず何が出来るかでしかもう変わらん

 そして、今年の宮城ライブで披露された『Hip Pop Boogie ChapterⅡ』では、同箇所がこのようにアレンジされていた。

きっとずっと 一方通行

止まればすぐ一生終了

(集合)津々浦々 神々歌うNight

Stand UP ヤオヨロズ

We come back

人の上 下に人作らぬなら

俺がその天の頂いただく

苛立つ(暇なく)舌出す(光らす)

後追いども 皆まず至らず

この『Hip Pop Boogie ChapterⅡ』と『心の空』のリリックが同時期に作詞されたとするならば、両者に“ヤオヨロズ”という言葉で用いられていることを見逃す訳にはいかないだろう。ここからは現時点での個人的な解釈になるが、“ヤオヨロズ”とは、「非常に多くの」「無数の」という無限に近い極めて多い数――ひいては、嵐に惹かれて集合するファン達のことを表しているのではないだろうか。もしそうだとすれば、“Stand UP”と煽られていることにも納得がいく。そして、その“ヤオヨロズ”の頂に君臨する神々こそ、嵐であり、櫻井翔なのである。信仰するしかない。

そして“(We are like 五奉行)”。これもなかなかに衝撃的だった。“五奉行”とは、豊臣政権下の職名であり、五大老の下、重要な政権の実務を担った五人の奉行を指す。具体的には、浅野長政前田玄以石田三成増田長盛 ・長束正家 の五人のことらしい。きちんと韻を踏みながら“五奉行”なんて日本史用語を引っ張ってくるあたり、本当に彼は根からの文系だと思うが、どうして格上の“五大老”ではなく“五奉行”を選んだのだろう。単に語呂が良かっただけという可能性もあるが、ここでの主語が“We”すなわち「嵐」であることを考えると、どうしても深読みしたくなってしまう。仮説としては、“五大老”は現代における「大臣」のような役割をしていたのに対して、実務を担当する“五奉行”は現代における「官僚」の役割であったと言えるので、彼のアイデンティティには“五奉行”の方が合致したのだろうか……と、ここまで考えてしまうとやはり深読みのし過ぎのような気もしてくる。また、もしもわたしが日本史マニアであれば、一体嵐のメンバーの誰が浅野長政で誰が石田三成なのかという当て嵌めを始めるところではあるが、残念ながら、高校時代に日本史で挫折したクチなのでみんな大好きWikipediaで仕入れた情報だけお伝えしておこうと思う。

主に司法担当 – 浅野長政(筆頭・甲斐甲府22万石)

主に行政担当 – 石田三成(近江佐和山19万石)

主に土木担当 – 増田長盛大和郡山22万石)

主に財政担当 – 長束正家(近江水口5万石)

主に宗教担当 – 前田玄以丹波亀山5万石)

 さあ、皆さんなら、誰に誰を当て嵌めるだろうか。とりあえず、財政担当の長束正家はナントカ宮さんあたりのような気がするのはわたしだけではないはず。

ずっと不動の地へと ゆこう

五奉行”であるところの「嵐」が“ヤオヨロズ”の「ファン」を導きながら、“ずっと不動の地”へと行く。では“ずっと不動の地”とは一体どこなのか。これまた難しい問題である。が、わたしの中には、彼のラップについて考えていて煮詰まったときは必ず『Hip Pop Boogie』に立ち返るという鉄則がある。そして、この場合は同時期に書かれたと推測される『Hip Pop Boogie ChapterⅡ』を参照するべきだろう。

君たちとなら歩いてく

栄光へとまだマイペース

磨いてる 未だ 磨いてる

咲いてる花たち 抱いてる

 

あんなに夢描き

今未来は瞳(め)の中に

Pass da mic. Pass da pen.

このmic and pen でRock the world

 『Take Off !!!!!』(2014年)で飛び立った嵐がファンと共に目指す、光る6の輪の向こうの“ずっと不動の地”とは、どこか。それは、天の頂であり、TOPであり、理想郷であり、そして“栄光”である。

スサノヲ散らす風防(you know)

 “スサノヲ”とは、『古事記』や『日本書紀』の中の日本神話に登場する神のこと。神名の「スサ」は、荒れすさぶの意として「嵐の神」、「暴風雨の神」とする説がある。この“スサノヲ”も実は2011年の『Rock this』で既出である。その際の歌詞は「不可能を可能 we’re like スサノヲ」――そう、嵐は五奉行の前は“スサノヲ”だったのだ。“風防”とは風を防ぐための装置のことを指すので、“スラノヲ”=俺ら「嵐」の前では、風よけなど無意味、蹴散らしてしまうよ。貴方も知ってるだろ?という感じだろうか。格好良すぎて眩暈すらしてきた。

ちなみに“スサノヲ”の姉にあたる“アマテラス”は天照大神(あまてらすおおみかみ)、「太陽の神」であり、こちらも過去の楽曲に度々登場している。

「アマテラスの頃から 俺らは地上の遥か外側」(2006年『COOL&SOUL』)

「時代 is mine 未来 is mine アマテラス照らす sunshine」(2008年『Hip Pop Boogie』)

このように、翔さんのラップ詞と日本神話の神々には切っても切れない深い関係があり、このテーマだけでも一つの論文が書けそうなレベルである。この調子なら「太陽の神」“アマテラス”のもう一人の弟とされる「月の神」の“ツクヨミ”が登場する日もそう遠くないかも知れない。翔さんは、今年の嵐のテーマは「原点回帰」だと語っていたが、彼はそもそも「原点」や「原始」というものに対するこだわりが強い人であるように思う。それは、大卒アイドル、ラップ、キャスターと道なき道を開拓していく彼の生き様からも感じられるのではないだろうか。『COOL&SOUL』で「似せてみようなら それは第二号」「ya so cute 二番煎じ」と歌ったように、彼は「パイオニア」であること、すなわち「原点」「原始」であることに気高い誇りを持っている。だからこそ、『古事記』や『日本書紀』などの日本神話への関心も高く、それがリリックにも反映されているのではないか、というのが私の持論である。

 

ここまで、『心の空』のラップ詞についての考察をとりとめもなく綴ってきた。今回のラップ詞は、単に曲自体のテーマである「外から見たニッポン」の描写だけには留まらず、ファンと共に栄光に向けてまだまだ突き進んでいこう、という「嵐」の決意表明であるように思う。去年の『Take Off !!!!!』や『Hip Pop Boogie ChapterⅡ』からも感じられたことではあるけれど、近年の翔さんは、我々ファンのことも「同胞」として、広い意味での「嵐」の一員として、輪の中に加えてくれているような気がして、それがわたしはたまらなく嬉しい。ああ。彼の紡ぐ言葉が好きで好きで仕方ない。例え今回のように教養で殴られようとも、彼の発する言葉のすべてをひとつも聞きのがさずに大切に咀嚼していきたいのだ。とりあえず、総括として言えることは、櫻井担は第二言語にスペイン語必修、『古事記』と『日本書紀』は必携です。日々是勉強。以上。