いつかまたね 交点の先で

この歴史を後世に語りたいのです

交換日記をしたいジャニーズランキング

事の始まりは、Twitterのリア垢に連結しているAsk.fmに「交換日記をしたいジャニーズランキングを」というお題が投げ込まれたことだった。匿名なので誰が質問してくれたのかは分からないが、とても素晴らしいお題だと思った。好きな文章に出会うともれなくそれを書いたひとも無条件に好きになるくらいに文章フェチなわたしにはピッタリなお題だ。最近、色々なジャニーズランキングが流行っていることもあり、ついつい楽しくなってリア垢なのにガチで語ってしまった。ジャニヲタじゃない人達の前でもこんなに堂々とジャニーズの話が出来るようになるなんて思わなかったが、折角なのでこっちにも載せておこうと思う。

 

 

 

~交換日記をしたいジャニーズランキング~

 

第10位:宮田俊哉Kis-My-Ft2

今回のランキングをするにあたって考えたのは、交換日記に何を書くのか問題。わたしの毎日には特に面白みがないので、日々の出来事よりも自分の好きなことについて語りたいわけです。ジャニーズについてとかな!ジャニーズと交換日記するのにジャニーズについて書くってどうなんだ!というツッコミは兎も角、そうなると相手も自分の好きなことについて好き勝手に書いてくれるひとがいい。そこで考えた。宮田くんといえば熱烈なアニメオタクです。結構ガチめのラブライバー。二次元のアイドルを愛する三次元のアイドル。きっと交換日記でもアニメについて熱く語ってくれるはず!お互いがお互いの好きなことについてしか書かない感じ、大変熱い交換日記になると思います。

 

 

第9位:手越祐也(NEWS)

みんな大好きてごにゃん。いや、逆に訊くけど、てごにゃんと交換日記したくないジャニヲタなんているの?いや、いない。文章表現における反語の利便性を噛みしめつつ、第9位は手越さんです。交換日記ってやっぱり何だかんだ青春の象徴だと思うんだ。てごにゃんとは学生時代にマカロンみたいな甘々交換日記をしたい。数年後見返したら恥ずかしくて死にそうになるようなやつ。大人になって黒歴史化するリアル・デスノートみたいな交換日記をてごにゃんとしたい。書き出しは「Hello!てごにゃんだよぉー?」から始まるし、女子のこと「子猫ちゃん♡」って呼ぶし「ゆくゆくは神になりたい!」なんて名言も飛び出る。ほとんど内容はないけどとにかく糖分過多な愛だけは篭っている、そんな交換日記をてごにゃんとしたい。そして、数年後ひとりで読み返して悶え死ぬところまでが交換日記です。

 

 

第8位:田口淳之介KAT-TUN

交換日記の醍醐味といえば、日記の最後に「最近嬉しかったことは何ですか?」とか質問して回答し合う、謎のQ&Aコーナーだと信じて疑わない。相手に質問を投げかけるということは、そのひとに対して興味を持ち続けなくてはいけないということだし、必ず質問に答えないといけないというのも考えてみればなかなか面倒臭いことだと思う。そんな交換日記を最後まで楽しくやってくれそうなジャニーズといえば、入口出口田口くんに違いない。田口くんはジャニーズウェブで毎回ファンの質問に答えるという大変マメな連載をしている。マメな田口くんならきっと交換日記もそれなりに続けてくれることでしょう。多分。あと個人的に田口くんの世界観が好きなので、田口くんとなら楽しく交換日記できそうだなって(⌒ー⌒)

 

 

第7位:風間俊介

 シンプルにかざぽんの文章が好きだという理由に尽きる。かざぽんの書く文章は本当に面白い。なんてったってあの『TV Bros.』に連載を持ってるんだぜ…!?あのテレビ情報誌とは思えないほど充実したコラムニスト達に名を連ねるジャニーズの文章が面白くない訳がないだろ…!?そんなかざぽんと交換日記なんて贅沢にも程がある。だがしかし、ここまでべた褒めしているのに何故7位なのかと言うと、このひとはジャニーズウェブでの連載を相葉雅紀の誕生日にしか更新しないからである。マジかよ。と思うがマジである。一番最新の更新は2014年12月24日で、その前の更新が2013年12月24日。葉担か。葉担なのか、かざぽん。1年に1度しか回ってこない交換日記って一体。七夕さながらである。文章は好きだが、交換日記に必要不可欠なマメさに欠けるという理由で第7位。

 

 

第6位:丸山隆平関ジャニ∞

 交換日記にはマメさが必要不可欠だという話をしたところで、マメの化身みたいな丸山さんが堂々のランクイン。わたしの中でこのひとはすごくマメな印象なのです。ジャニーズウェブの連載は毎日マメに更新しているし、コンサートでもファンのうちわをマメに見てマメにファンサをしている。すごくマメ。マメマメ言い過ぎて、これってマメなジャニーズランキングだったっけ?と錯乱してきましたが、とにかく丸山隆平はマメな男。とするならば、交換日記もマメに書いてマメに回してくれることでしょう。あと丸ちゃんって普段はあんな何が飛び出るか分からないビックリ箱みたいなひとなのに、書く文章からは根のまじめで誠実なところがにじみ出ていてそこが好きだ。日常の柔らかくて優しい部分をすくい上げて文章にしてくれる。日々癒される交換日記もまた良いものだと思う。

 

 

第5位:大倉忠義関ジャニ∞

 おそらく大倉くんは文章を書くことが好きなんだと思う。ジャニーズウェブで冬だけの期間限定で「倉's mas」という連載をしている大倉くん。この連載の更新頻度は半端ない。それこそTwitterくらいの感じでガンガン更新されていくし、これがTwitterなら立派なツイ廃だぞ!?と思うレベルだ。長文も面白いんだけど、呟きとかぼやきという表現がピッタリな大倉くんの短文がわたしはすごく好きです。内容を見ていても、文末に草(w)を生やしてみたり、ハッシュタグを使ってみたり、文章表現における感性がすごく今どきで楽しい。大倉くんならノリノリで交換日記してくれそうな感じがあります。ドキドキしながら「交換日記しない?」って誘ったら「えー?交換日記?懐かしいなあ!ええやん♡しよ~♡」ってめっちゃ笑顔で答えてくれて、大倉くんってイケメンなだけじゃなくてとっても優しいんだな♡って思いました♡(妄想)

 

 

第4位:大野智(嵐)

 デジタル社会の今日といえど、交換日記はやっぱり手書きじゃないと嫌だ。そんなわたしのこだわりから、今回は文章の内容に加えて字のうつくしさも判断条件に加味した。そこで第4位に躍り出たのが我らがリーダー・大野智である。字がきれいな男の人って本当にポイント高いと思うんです。もうこうなったら内容なんて何でもいい、ノートの上にきれいに並ぶ大野さんの形の良い文字たちを目で追いたい。何度も何度も読み返したい。あと、実際に大野さんは約13年間も日記を付けているそうで(途中何度か中断したこともあったらしいので正確な期間は不明)交換日記もそれなりに続くのではないかと推測できます。大野さんが今回のランキングで一番リアルにどんな交換日記になるかを想像できた気がするなあ。ページの隅っこにラクガキがあったりしたら、すごく嬉しいし萌える。何気なく描いてあるんだけど、ラクガキと言うにはクオリティの高すぎるイラストがね、描いてあるんだ、きっと。

 

 

第3位:加藤シゲアキ(NEWS)

 え、みんな、ジャニーズ初の小説家と交換日記したくないの?したいよね??(圧力)わたしはめちゃくちゃしたい。シゲは小説を書いているだけあってすごく言葉というものに敏感なひとだと思っていて、そういうところにわたしはかなり好感を持っています。タイミングが良いことに、ちょうど今、彼の処女作の「ピンクとグレー」を読んでいるのですが(今更であることは百も承知)ジャニーズとか芸能人とかそういう肩書きを一旦置いておいて、すごい文章力だと思った。わたしも曲がりなりにもサークルで小説を書いたりしてきたわけですが、全く及ばない。こんな小説が書けてすごいなって本気で思っているし、何なら若干嫉妬している。実際にプロの方にも評価されている筆力の持ち主、シゲアキ先生。文章フェチのわたしとしてはぜひ交換日記をして頂きたいと思う。日記が回ってくる度にやっぱりこのひとの文章好きだなあと思いたいし、その才能に嫉妬したい。

 

 

第2位:櫻井翔(嵐)

 自担である。単純に自担と交換日記なんてしたいに決まってる!という贔屓目があることは否定できないが、担当制度を外して考えてもわたしは翔さんの書く文章が本当に好きだ。ラップ詞もジャニーズウェブでの連載「オトノハ」の文章も雑誌や番組の企画などで書いた手紙も、彼の書く文章のすべてが好きで好きで仕方ない。翔さんの文章にはその人柄が色濃く反映されていて、彼の真摯な眼差しや昔から変わらない反骨心の強さがすべて表れている。また、「オトノハ」での文章を取り上げると、翔さんはカッコ書きを多用して自分に対してツッコミを入れることが多いです。このカッコを使った一人ツッコミ、わたしも昔からよくやってて、それこそ嵐のファンになる前からやってたので運命的なものを感じたりしたものですが、そういう真面目なところと不真面目なところのバランス感覚がとれた完璧な文章を自分だけが読めるという優越感はすごいだろうなあ。翔さんと交換日記したい。切実にしたい。

 

 

第1位:二宮和也(嵐)

 自担を差し置いて堂々の第1位。我らが二宮和也。わたしはニノちゃんの発する言葉のひとつひとつ、そしてその根本の考え方が好きすぎる。ニノちゃんの考え方というのは、悟りを開いたかのような深さがあるというか、まるで哲学とかこの世の真理みたいだなとよく思うんだけど、そういうニノが日々考えていることをただ淡々と長々書いてほしいんです。交換日記をしたいというよりは、ニノの脳内を覗きたいという感情に近いのかも知れない。このひとは一体何を考えているんだろうという永遠に分からないだろう疑問と、交換日記をすることでその一部を垣間見ることができるんじゃないかという期待感。でもニノはきっと交換日記なんて面倒臭くてしてくれないし、してくれたとしても「ゲームした。以上」が毎回続きそうだし、わたしが質問をしても全然答えてくれなくてシカトするし、答えてくれたとしてもテキトーなこと書いて受け流すんだと思う。それでもわたしは二宮和也と交換日記がしたい。一体どれだけ前世で徳を積んだら、二宮和也と交換日記ができるのでしょうか。

 

 

 

以上。改めて見ても長い。少なくともリア垢で語る熱量ではない。質問してくれたひともあまりのガチ具合に引いたことだろう。すみません。でもめちゃくちゃ楽しかったです。素敵なお題をありがとうございました。このランキング考えてたら、久しぶりに交換日記をしたくなってきたので誰かわたしと交換日記しましょう。

 

 

櫻井翔さん、33歳のお誕生日おめでとうございます!

櫻井翔さん、33歳のお誕生日おめでとうございます!

 

は~~~32歳の櫻井翔さん、吃驚するくらい愛しかったですよね。

 

HEY!HEY!HEY!の「もし女性だったら、付き合いたいメンバー・付き合いたくないメンバーは?」という質問で、自分が付き合いたいメンバーとして選んでいた相葉ちゃんに付き合いたくないメンバーに選ばれてしまって「俺はあなたと付き合いたかったけどね…」となで肩が加速する翔さん。休日のスケジュールも分刻みで立てる所が大々的にバレちゃった翔さん。風磨くんの誕生日にサラっと時計をプレゼントしちゃう翔さん。ワクワク學校で料理する相葉ちゃんに対して「いい匂い。この匂いは玉ねぎかな?豚肉かな?それとも君かな?」とかギリギリアウトな発言をする翔さん。インディ・ショウくんとかいう謎キャラになっちゃう翔さん。幼稚舎からの友人と男二人で映画館に行き、カップルに囲まれながらアナ雪を見た翔さん。ハワイでしたいことを訊かれて「俺千葉で相葉くんとやったスモウ・チューブを他の3人にもやらせたい」とか言っちゃう翔さん。未だに俺千葉の映像をたまに見返してることを暴露する翔さん。櫻葉担と同じことをしている翔さん。他のメンバーはハワイで日焼け止めを塗ってるのに相葉ちゃんとサンオイルを塗り合いっこする翔さん。お気に入りのサンダルを毎年メンバーの誕生日にプレゼントし続けていたら、色も形も全く同じサンダルが三つ並んで、どれが誰のだか分からなくなって帰り際にドタバタしちゃう翔さん。ハワイのコンサートで思いっきり「トーーキョーーーーー!!!」と煽る翔さん。分刻みのスケジュールでハワイ観光をする翔さん。福岡のコンサートでも思いっきり「トーーキョーーーーー!!!」と煽る翔さん。コンサート中の心拍数がめちゃくちゃ安定している強心臓な翔さん。相葉さんが作った翔ちゃんのためのたこやき(喉に良いようにかりんのエキス、ロールケーキと紅生姜を入れ、ソースとマヨネーズの代わりにプリンをかき混ぜたものをかけた物体)を美味しかったと絶賛する翔さん。コンサートでテンション上がって「俺今日フルMAX!」とか言っちゃう翔さん。ディスコスター様がお気に入りでディスコスターバイバイをする翔さん。「得意料理は麦茶」と豪語するお察しレベルの料理の腕前なのにフレンチのシェフを演じる翔さん。コンサートの挨拶で「好きなの?」「もう、いいよそういうの…」「ねえ好きなの?」「うるせえなあ…」「ねえ好き?」「好きだよ…」という激甘な一人芝居を勝手にして勝手に照れる翔さん。

ていうかわたしほんと櫻葉に関する記憶力高いな。

 

 

そんな訳で今回は32歳の櫻井翔さんを振り返っていきたいと思います。ただ、わたしは、2014年・32歳の翔さんを振り返る為には、まずその布石として2013年・31歳の翔さんについて触れておかなくてはならないと思っています。何故なら、わたしは2013年という年を、わたしが翔さんを見てきたまだまだ短い期間の中で、翔さんが最も大きな転機を迎えた年として位置付けているからです。翔さんの今まで刻んできた歴史はまさに「有言実行」の道。そして、2014年以降の翔さんが新たな「実行」をするとするならば、2013年こそがその為の「有言」の年だったと思うのです。

「30になった瞬間というのが自分の中で結構大きな出来事で、いろいろ考えたんですよ。そのときに漠然と感じた「今のままで本当にいいのかな」という危機感は、以来ずっと持ってるんです。僕は少しでもこの世界で長く走っていたい。今、荷物をたくさん抱えて1年先までしか走れないんだとしたら、その荷物を捨ててでも10年、30年走りたいんです。仮に今、自分が山の麓にいるとするなら、五合目、六合目で行ったところで“燃料切れ”になりたくはないから、燃料をできるだけ自分で生成できるような形にしておきたい。」(日経エンタテイメント! 2013年7月号)

 今抱えている荷物を捨ててでも、その先へと走りたい。その気持ちはメンバーにも伝えてあると翔さんは言いました。では、翔さんが言う「荷物」とは一体何だったのか。翔さんはこのとき、何も出来てないのに「可愛い」と黄色い声援を受け持て囃されるところから早く離れなくてはならない、とも言及していました。「可愛い」の燃料だけでは、10年後、30年後まで走れないから、と。しかし、「可愛い」の燃料が翔さんの言う「荷物」だとはわたしにはとても思えませんでした。それはあくまで「可愛い」だけでは足りないという意味であり、だからと言って「可愛い」を捨てる必要は決してない。それだけでは不十分だとしても「可愛い」は純然たる嵐の武器であるとわたしは考えています。そしてそれは多分翔さんも。

 

翔さんが言う「荷物」とは何か。同じく2013年、翔さんが明らかに打ち破ったものがあるとするなら、それはひとつ。“パブリックイメージ”、いわゆる世間の目により記号化された「櫻井翔」像ではないでしょうか。

2013年春。『家族ゲーム』というドラマが翔さんに与えたものはかなり大きかったと思います。

「この作品とはまた離れたところで、30歳になったときから明確にあったのは、パブリックイメージにとらわれすぎない、やりたいものをやるっていうことだったんです。それはひとつ自分の中のテーマとしてあったので、今回の『家族ゲーム』でパブリックイメージの櫻井翔から離れる役柄をいたただけたというのは、幸せなことだなと思っています」(FREECELE 2013年3月)

 では、翔さん自身が捉えていた、櫻井翔の“パブリックイメージ”とは一体どのようなものなのか。そんな記者の質問に「なんというか……スーツ着てネクタイしてる感じですか?」と答えた上で、翔さんはこう続けました。

 

「ただ僕、この頃は、人からどう見られているかについて考えるのをやめたんです。10人いれば10通りの物の見方や受け止め方があると思いますし、考えてもわからない。“みんながこう思っているから、こうしなきゃいけない”みたいな考えから離れようと、ある日、急に思いました。それよりも目の前にある仕事を粛々と務めあげることに専念すべきだし、そう思うことで、自分自身もとらわれることがなくなって、仕事面でも、いい方向に作用すればいいなと思っています」(anan 2013年4月24日号)

 

知的で爽やかな優等生。勿論、それも翔さんを形作る一部ではあるでしょう。だけど、もともと翔さんは人一倍「反骨心」が強い人です。それは『Anti-Anti』で「なら、アイドルがどれほどか見せてやるよ」と宣言したときから今もずっと揺るぎない、翔さんの根っこにあるもの。 翔さんは、他の四人もそうですが、今の現状が信じられない、夢みたいだ、というような意味のことをいつも言います。特に翔さんは今の嵐の人気というものに何処か懐疑的です。しかし、その謙虚な言葉の奥から伝わってくるものは、想像以上に力強い覚悟。「今張り続けている勝負はもちろん勝つつもりでやっているけれど、その勝ちによって来年にもし消えゆくのであれば、負けることで20周年、30周年笑えるほうを選びたい」と彼は言いました。その瞳はいつだって先を見ている。道なき道の先を見ている。

 

そして、2014年、32歳の翔さんの考えは5人の総意として「嵐」の中にも共有されたのではないかとわたしは推測します。

 

「'07〜'08年くらいから、新たに応援してくださるようになった方が、ありがたいことにものすごく増えて。“嵐入門編”というか、そうしたみなさんがイメージするものを意識的にやってきたと思うのね。で、これはまだ5人の総意じゃないから、あくまで個人的な話なんだけど、その中庸ってところから少しずつ離れてみようとは思ってる。離れるって、大げさかな。色んな方の支えもあって補助輪を付けてもらったところ、両方じゃなくても片方を外して進んでいけるようにならなくちゃ。そんな感じ」(TVガイドPERSON)

 

アルバム『THE DIGITALIAN』からもその思いは伝わってきました。2014年、嵐はデビュー15周年でした。『5×15』のような15周年を記念するものを届けるのではなく、“15周年”に“Original”の“New”アルバムを出す。「これが我々のスタンスの全て」だと翔さんは宣言してくれました。“立ち止まらず、攻めたもの”をという先を見据えた姿勢。攻撃は最大の防御なり。それは正しく翔さんが『Future』で書いたリリックのように。

待ってるだけではしょうがない

僕は立ち止まってる方が辛い

だって僕ら見るのは 昨日じゃなく

いつでも今日じゃない?

 

わたしはそんな翔さんが好きです。常に前を見る翔さん。翔さんに抱く感情はきっと他の人から見たら崇拝じみた敬愛だと思います。だけど、あまりにストイックで立ち止まることが苦手な翔さんを見ていると時に不安になるのも事実でした。だって、17歳の自分に対する手紙に「死ぬほど無理してください。別に死にゃしないから」なんて言葉を綴る人だから。翔さんは立ち止まらない人です。だけど、それはどちらかと言えばきっと立ち止まれないという方が近いんじゃないかと思ってきました。休みの日でも何もせず家にいることが出来ない、具合が悪くなる、というようなことを言っていて吃驚した記憶があります。翔さんは決して弱音を吐かないし、辛い時に辛いと言わない。自分の中できちんと消化されてから「あの時はこうだった」と言うことはあるけれど、決して現在進行形の弱さを曝け出す人ではない。わたしはその強さに憧れる一方で、危うさも感じていたんだと思います。強さの中に内包される弱さが、あるような気がして。

だけど、そんなわたしの心配は無用だったみたいです。

 

「2015年の一字は“穏”。前半はゆっくりできたけど、‘14年下半期は走ってきた印象があります。だから‘15年は落ち着く、休むことを恐れない。前は休みがあると不安だったんだけど、最近、休むのもいいかなと思い始めて。休みができたら、遊びたい! 何もインプットしない。つなげない。休みたいというか、休むことを恐れないって感じかな。僕にとって、休みということはとても大きな勇気です。今までは、休むことが怖かったから」(月間テレビジョン)」

 

休むことが怖かったと翔さんが言ってくれて、本当に嬉しかった。そしてそれと同時に人の心配をする前に自分こそ動かないといけないなと思いました。いつか翔さんみたいになりたいなんて、目標が高すぎて畏れ多いけれど。翔さんは永遠にわたしの憧れです。ファンサなんていらないんで、これからもファンとしてついていかせてください。これからも翔さんの掌の上で一生転がされる所存です。33歳の櫻井翔さんのことも翔さん!翔さん!って人懐っこい舎弟みたいに呼んでいきたいと思います。

 

 

最後に。

 

 

 

日付詐称してすみませんでした!!!!!!!!!

 

 

わたしくらいわたしの「好き」を肯定してもいいじゃないか

「明日発売の、文学界2月号に『火花』という小説を書かせていただきました。大切なものについて書きました。載せていただけることが嬉しいです。見かけましたら撫でてあげてください。」

ピースの又吉さんが純文学小説で文芸誌デビューしたと聞いて、たまらず『文學界』を購入した。元・文芸部のくせに文芸誌を買ったのはこれが生まれて初めてだ。

わたしは又吉さんの著書の『第2図書係補佐』や『東京百景』を読んで以来、彼の書く文章のファンである。又吉さんの小説の感想はまた次の機会に書くとして、ここでは、書店で一冊だけ残っていた『文學界』をちゃんと撫でておいたことだけ報告しておきたい。素直。



以前、大学で行われた講演会で、又吉さんは太宰治の『人間失格』についてこんなことを言っていた。

皆さんも悩みがありますよね。でも人に相談したら「あんたより大変な人いっぱいおんねんから」と言われることってありませんか。黒板をギーッとひっかく音がとにかく嫌だとか、他人にはたいしたことないと思われる悩みが、ほんまの悩みやったりする。悩みが比較され、その大小で問題にされないことがある。その状況ってどうやねんと批判的に言っている小説ではないでしょうか。
他人に同情されないネガティブな悪人の悩みを扱い、当事者にとってのほんまの痛みとはどういうものなのかを、問うていると思う。

Twitterだったら即ふぁぼして「わかる」とリプを送りたいくらいとてもわかると思った。ツイ廃特有の共感の仕方である。


ところで、これって「好き」って感情にも言えることのような気がする。どうして「好き」っていうプラスのはずの気持ちを他人と比較されなきゃいけないのだろう。わたし自身もよく自分と他人の「好き」を勝手に測り勝手に比較して勝手に凹んでしまう。


話は変わるが、わたしは運動音痴である。わたしの経験上、運動神経の有無は所謂スクールカーストの大部分を左右すると考えている。

例えば、小学校というのは往々にしてドッジボール至上主義的な所がある。兎に角ドッジボールが強い奴がモテる。わたしにとってドッジボールとは、いかに存在感を消し標的となるのを先延ばしに出来るかを競うゲームであった。ボールから逃げ惑うのはそれなりに上手かったように思うが、ボールの扱い方が異様に下手なので、最後の一人として内野に残っても形勢を逆転することなど出来なかった。ただただ己の無力さを呪った。

足が遅いので鬼ごっこも好きじゃなかった。ジャンケンで勝っても、すぐに捕まって鬼になる。そして一度鬼になると他の子にタッチするのは至難の業であった。結果的にずっとわたしが鬼。everyday鬼。everytime鬼。わたしだけ半永久的にリアル鬼ごっこ状態である。

持久走や水泳も壊滅的だったが、個人種目はまだ良い。わたし個人の記録がどんなに悪くても他人に迷惑を掛けずに済む。しかし、集団で行う競技は地獄だった。特に球技。球技は、こわい。

今でも忘れられない記憶がある。中学校の体育の時間のこと。バレーボールをしていたわたしに、般若みたいな顔をしたクラスの中心格の女子が言った。「リリーさん、いい加減にふざけるのやめてくれない?真面目にやって欲しいんだけど」と。
弁解させて頂くと、わたしは至極真面目にバレーボールをしていたつもりだった。何ならチーム内で一番バレーボールというものに対して畏怖を抱き、深刻な気持ちで取り組んでいたと思う。当時はショックだったが、今考えるとうっかりサーブが後ろに飛んでしまうような運動神経ではそんな風に言われても仕方ないかも知れない。


そんなわたしが唯一戦うことができる土俵が書くことだった。どうやら自分は同世代の他の子たちより文章を書くということにおいては少しだけ秀でているらしいという自負があった。スポーツの大会で表彰台に立ったことはいちどもないけれと、作文コンクールでは入賞して賞状を貰うこともあった。今考えれば全然大したことじゃない。もっと文章力がある子なんていくらでもいた。だけど、書くことが「好き」だという気持ちだけがわたしの支えだったのだ。


最近、気付いたことがある。昔は自分の苦手なこと、つまり運動音痴であることがそのままコンプレックスだった。だが、今はそんなに深刻には考えていない。単純に運動をする機会が減ったということもあるけれど、運動音痴をネタに昇華することも出来るようになった。その代わり、という訳ではないかも知れないが、素敵な文章を書く人に対して抱く憧憬に嫉妬にも似た感情が混じるようになった。「わたしもこんな文章が書けるようになりたい」という気持ちも、強すぎると純粋な羨望とは少し違うものになってしまうのかも知れない。


書くことが「好き」だったはずなのに、それを他の人と比較した瞬間、コンプレックスと化してしまう不思議。この、「好き」を比べるということは、ジャニヲタの世界ではよくあることだ。古株・新規という言葉でファンは分断され「好き」の度合いで争う。だけど、わたしの「好き」とあなたの「好き」は全くの別物で、そもそも「好き」を測る尺度など何処にも存在しないのだ。

他人と比較することで、自分の「好き」を捨ててしまうのは、もったいない。


わたしは、文章を書くことが好きだから文章を書くという自由を、これからも失いたくないと、思う。


以上、恐ろしく回りくどい「ブログ始めました」のお知らせでした。