いつかまたね 交点の先で

この歴史を後世に語りたいのです

櫻井翔さん、33歳のお誕生日おめでとうございます!

櫻井翔さん、33歳のお誕生日おめでとうございます!

 

は~~~32歳の櫻井翔さん、吃驚するくらい愛しかったですよね。

 

HEY!HEY!HEY!の「もし女性だったら、付き合いたいメンバー・付き合いたくないメンバーは?」という質問で、自分が付き合いたいメンバーとして選んでいた相葉ちゃんに付き合いたくないメンバーに選ばれてしまって「俺はあなたと付き合いたかったけどね…」となで肩が加速する翔さん。休日のスケジュールも分刻みで立てる所が大々的にバレちゃった翔さん。風磨くんの誕生日にサラっと時計をプレゼントしちゃう翔さん。ワクワク學校で料理する相葉ちゃんに対して「いい匂い。この匂いは玉ねぎかな?豚肉かな?それとも君かな?」とかギリギリアウトな発言をする翔さん。インディ・ショウくんとかいう謎キャラになっちゃう翔さん。幼稚舎からの友人と男二人で映画館に行き、カップルに囲まれながらアナ雪を見た翔さん。ハワイでしたいことを訊かれて「俺千葉で相葉くんとやったスモウ・チューブを他の3人にもやらせたい」とか言っちゃう翔さん。未だに俺千葉の映像をたまに見返してることを暴露する翔さん。櫻葉担と同じことをしている翔さん。他のメンバーはハワイで日焼け止めを塗ってるのに相葉ちゃんとサンオイルを塗り合いっこする翔さん。お気に入りのサンダルを毎年メンバーの誕生日にプレゼントし続けていたら、色も形も全く同じサンダルが三つ並んで、どれが誰のだか分からなくなって帰り際にドタバタしちゃう翔さん。ハワイのコンサートで思いっきり「トーーキョーーーーー!!!」と煽る翔さん。分刻みのスケジュールでハワイ観光をする翔さん。福岡のコンサートでも思いっきり「トーーキョーーーーー!!!」と煽る翔さん。コンサート中の心拍数がめちゃくちゃ安定している強心臓な翔さん。相葉さんが作った翔ちゃんのためのたこやき(喉に良いようにかりんのエキス、ロールケーキと紅生姜を入れ、ソースとマヨネーズの代わりにプリンをかき混ぜたものをかけた物体)を美味しかったと絶賛する翔さん。コンサートでテンション上がって「俺今日フルMAX!」とか言っちゃう翔さん。ディスコスター様がお気に入りでディスコスターバイバイをする翔さん。「得意料理は麦茶」と豪語するお察しレベルの料理の腕前なのにフレンチのシェフを演じる翔さん。コンサートの挨拶で「好きなの?」「もう、いいよそういうの…」「ねえ好きなの?」「うるせえなあ…」「ねえ好き?」「好きだよ…」という激甘な一人芝居を勝手にして勝手に照れる翔さん。

ていうかわたしほんと櫻葉に関する記憶力高いな。

 

 

そんな訳で今回は32歳の櫻井翔さんを振り返っていきたいと思います。ただ、わたしは、2014年・32歳の翔さんを振り返る為には、まずその布石として2013年・31歳の翔さんについて触れておかなくてはならないと思っています。何故なら、わたしは2013年という年を、わたしが翔さんを見てきたまだまだ短い期間の中で、翔さんが最も大きな転機を迎えた年として位置付けているからです。翔さんの今まで刻んできた歴史はまさに「有言実行」の道。そして、2014年以降の翔さんが新たな「実行」をするとするならば、2013年こそがその為の「有言」の年だったと思うのです。

「30になった瞬間というのが自分の中で結構大きな出来事で、いろいろ考えたんですよ。そのときに漠然と感じた「今のままで本当にいいのかな」という危機感は、以来ずっと持ってるんです。僕は少しでもこの世界で長く走っていたい。今、荷物をたくさん抱えて1年先までしか走れないんだとしたら、その荷物を捨ててでも10年、30年走りたいんです。仮に今、自分が山の麓にいるとするなら、五合目、六合目で行ったところで“燃料切れ”になりたくはないから、燃料をできるだけ自分で生成できるような形にしておきたい。」(日経エンタテイメント! 2013年7月号)

 今抱えている荷物を捨ててでも、その先へと走りたい。その気持ちはメンバーにも伝えてあると翔さんは言いました。では、翔さんが言う「荷物」とは一体何だったのか。翔さんはこのとき、何も出来てないのに「可愛い」と黄色い声援を受け持て囃されるところから早く離れなくてはならない、とも言及していました。「可愛い」の燃料だけでは、10年後、30年後まで走れないから、と。しかし、「可愛い」の燃料が翔さんの言う「荷物」だとはわたしにはとても思えませんでした。それはあくまで「可愛い」だけでは足りないという意味であり、だからと言って「可愛い」を捨てる必要は決してない。それだけでは不十分だとしても「可愛い」は純然たる嵐の武器であるとわたしは考えています。そしてそれは多分翔さんも。

 

翔さんが言う「荷物」とは何か。同じく2013年、翔さんが明らかに打ち破ったものがあるとするなら、それはひとつ。“パブリックイメージ”、いわゆる世間の目により記号化された「櫻井翔」像ではないでしょうか。

2013年春。『家族ゲーム』というドラマが翔さんに与えたものはかなり大きかったと思います。

「この作品とはまた離れたところで、30歳になったときから明確にあったのは、パブリックイメージにとらわれすぎない、やりたいものをやるっていうことだったんです。それはひとつ自分の中のテーマとしてあったので、今回の『家族ゲーム』でパブリックイメージの櫻井翔から離れる役柄をいたただけたというのは、幸せなことだなと思っています」(FREECELE 2013年3月)

 では、翔さん自身が捉えていた、櫻井翔の“パブリックイメージ”とは一体どのようなものなのか。そんな記者の質問に「なんというか……スーツ着てネクタイしてる感じですか?」と答えた上で、翔さんはこう続けました。

 

「ただ僕、この頃は、人からどう見られているかについて考えるのをやめたんです。10人いれば10通りの物の見方や受け止め方があると思いますし、考えてもわからない。“みんながこう思っているから、こうしなきゃいけない”みたいな考えから離れようと、ある日、急に思いました。それよりも目の前にある仕事を粛々と務めあげることに専念すべきだし、そう思うことで、自分自身もとらわれることがなくなって、仕事面でも、いい方向に作用すればいいなと思っています」(anan 2013年4月24日号)

 

知的で爽やかな優等生。勿論、それも翔さんを形作る一部ではあるでしょう。だけど、もともと翔さんは人一倍「反骨心」が強い人です。それは『Anti-Anti』で「なら、アイドルがどれほどか見せてやるよ」と宣言したときから今もずっと揺るぎない、翔さんの根っこにあるもの。 翔さんは、他の四人もそうですが、今の現状が信じられない、夢みたいだ、というような意味のことをいつも言います。特に翔さんは今の嵐の人気というものに何処か懐疑的です。しかし、その謙虚な言葉の奥から伝わってくるものは、想像以上に力強い覚悟。「今張り続けている勝負はもちろん勝つつもりでやっているけれど、その勝ちによって来年にもし消えゆくのであれば、負けることで20周年、30周年笑えるほうを選びたい」と彼は言いました。その瞳はいつだって先を見ている。道なき道の先を見ている。

 

そして、2014年、32歳の翔さんの考えは5人の総意として「嵐」の中にも共有されたのではないかとわたしは推測します。

 

「'07〜'08年くらいから、新たに応援してくださるようになった方が、ありがたいことにものすごく増えて。“嵐入門編”というか、そうしたみなさんがイメージするものを意識的にやってきたと思うのね。で、これはまだ5人の総意じゃないから、あくまで個人的な話なんだけど、その中庸ってところから少しずつ離れてみようとは思ってる。離れるって、大げさかな。色んな方の支えもあって補助輪を付けてもらったところ、両方じゃなくても片方を外して進んでいけるようにならなくちゃ。そんな感じ」(TVガイドPERSON)

 

アルバム『THE DIGITALIAN』からもその思いは伝わってきました。2014年、嵐はデビュー15周年でした。『5×15』のような15周年を記念するものを届けるのではなく、“15周年”に“Original”の“New”アルバムを出す。「これが我々のスタンスの全て」だと翔さんは宣言してくれました。“立ち止まらず、攻めたもの”をという先を見据えた姿勢。攻撃は最大の防御なり。それは正しく翔さんが『Future』で書いたリリックのように。

待ってるだけではしょうがない

僕は立ち止まってる方が辛い

だって僕ら見るのは 昨日じゃなく

いつでも今日じゃない?

 

わたしはそんな翔さんが好きです。常に前を見る翔さん。翔さんに抱く感情はきっと他の人から見たら崇拝じみた敬愛だと思います。だけど、あまりにストイックで立ち止まることが苦手な翔さんを見ていると時に不安になるのも事実でした。だって、17歳の自分に対する手紙に「死ぬほど無理してください。別に死にゃしないから」なんて言葉を綴る人だから。翔さんは立ち止まらない人です。だけど、それはどちらかと言えばきっと立ち止まれないという方が近いんじゃないかと思ってきました。休みの日でも何もせず家にいることが出来ない、具合が悪くなる、というようなことを言っていて吃驚した記憶があります。翔さんは決して弱音を吐かないし、辛い時に辛いと言わない。自分の中できちんと消化されてから「あの時はこうだった」と言うことはあるけれど、決して現在進行形の弱さを曝け出す人ではない。わたしはその強さに憧れる一方で、危うさも感じていたんだと思います。強さの中に内包される弱さが、あるような気がして。

だけど、そんなわたしの心配は無用だったみたいです。

 

「2015年の一字は“穏”。前半はゆっくりできたけど、‘14年下半期は走ってきた印象があります。だから‘15年は落ち着く、休むことを恐れない。前は休みがあると不安だったんだけど、最近、休むのもいいかなと思い始めて。休みができたら、遊びたい! 何もインプットしない。つなげない。休みたいというか、休むことを恐れないって感じかな。僕にとって、休みということはとても大きな勇気です。今までは、休むことが怖かったから」(月間テレビジョン)」

 

休むことが怖かったと翔さんが言ってくれて、本当に嬉しかった。そしてそれと同時に人の心配をする前に自分こそ動かないといけないなと思いました。いつか翔さんみたいになりたいなんて、目標が高すぎて畏れ多いけれど。翔さんは永遠にわたしの憧れです。ファンサなんていらないんで、これからもファンとしてついていかせてください。これからも翔さんの掌の上で一生転がされる所存です。33歳の櫻井翔さんのことも翔さん!翔さん!って人懐っこい舎弟みたいに呼んでいきたいと思います。

 

 

最後に。

 

 

 

日付詐称してすみませんでした!!!!!!!!!