いつかまたね 交点の先で

この歴史を後世に語りたいのです

自担に教養で殴られた~嵐の新アルバム『Japonism』リード曲『心の空』のラップ詞についての考察~

自担に教養で殴られたことはありますか。わたしはある。

嵐の通算14枚目となるオリジナルアルバム『Japonism』が今月21日に発売される。このアルバムのリード曲『心の空』は、布袋寅泰氏が作詞・作曲・編集を手掛けたことでも話題だ。テーマは「外から見たニッポン」。先日、各WSでMVが解禁され、その感想で朝からTwitterが賑わっていたことは記憶に新しい。そして、この曲の一部分には櫻井翔さんが作詞を手掛けたラップ詞があるのだが、そのリリックを始めて見たとき、わたしは「自担に教養で殴られた」と思ったのである。

Here is El Dorado 囲まれる碧

他の空と繋ぐ“Hey,Hello!”

響くこの唄を 一つに歌おう

以って貴きこの和を(この和を)

巡り巡りゆく 春夏秋冬

ヤオヨロズ集合(We are like 五奉行

ずっと不動の地へと ゆこう

スサノヲ散らす風防(you know)

 曲自体のテーマが「外から見たニッポン」ということで、ラップ詞でもニッポンについて歌われていることが分かる。そして、この限られた文字数の中に翔さんの教養と言語センスがこれでもかというくらいに詰め込まれていることにわたしは衝撃を受けたわけだが、ここでは、己の脳内を整理するために個人的な考察を綴っていきたいと思う。近いうちにいずれかのメディアで翔さん本人からの解説があると信じているので、それまでは自由気ままに解釈させて頂く所存だ。

 

Here is El Dorado 囲まれる碧

“El Dorado(エル・ドラード)”とは、スペイン語で「金箔をかぶせた」、「黄金の人」の意であり、大航海時代南アメリカアンデス地方にあるとされた、伝説の「黄金郷」を指す。そして、ここでは、「黄金郷」――「黄金の国」と呼ばれたジパング、すなわち日本のことを表していると思われる。つまり、この“El Dorado”という単語には、彼が大学時代に第二言語として専攻したスペイン語の要素だけでなく、大航海時代を始めとした世界史の知識、そして、マルコ・ポーロの『東方見聞録』についての知識が詰まっているというわけである。日本、ジパング、黄金の国、黄金郷、“El Dorado”。まるで連想ゲームのような発想のジャンプにより、彼の言葉は紡がれていく。

また、その後に続く“囲まれる碧”という表現からも、周囲を海で囲まれた島国である日本についての描写がなされていることが分かる。あおはあおでも、「青」ではなく「碧」である点にも翔さんのこだわりを感じる。ちなみに「碧」には、青く澄んで見える石の意があり、青色というよりは青緑色に近いイメージだろうか。個人的に「青い海」より「碧い海」の方が、島国を囲むエメラルドグリーンの美しい海が連想されて、より鮮やかな表現のように感じた。

他の空と繋ぐ“Hey,Hello!”

響くこの唄を 一つに歌おう

“他の空”とは、外国の空であろうと推測される。挨拶大事。彼が紡ぐリリックには「空」と「海」が読み込まれていることが多いのだが、今回も先程の「碧」≒「海」の対比として「空」が登場している。『心の空』というタイトルからも分かるように、この唄は「地球という同じふるさとで巡り合った僕たちは、どんなときもどんなに離れていても、同じ空を心に持っているんだよ(大意)」ということを歌っているため、この二行は曲自体の世界観を端的に表しているのではないだろうか。

以って貴きこの和を(この和を)

この一文は、かの有名な聖徳太子が制定したとされる、十七条憲法の第一条の「和を以て貴しと為す」という言葉の引用であると考えられる。ちなみに十七条憲法は、『日本書紀』に全文が引用されているものが初出であるため、『日本書紀』からの引用であるとも言える。「和を以て貴しと為す」とは、人々がお互いに仲良く調和していくことが最も大事であるという教え。めちゃくちゃざっくり訳すと「平和尊い」って感じだろうか。本当にざっくり。

巡り巡りゆく 春夏秋冬

日本の四季。曲の歌詞自体にも「春待ち桜 月夜の花火 燃える夕焼け ふわり初雪」と四季の移り変わりを歌う箇所がある。清少納言も『枕草子』で「春も夏も秋も冬も、みんなちがって、みんないい(大意)」って日本の四季折々の自然の美しさを絶賛していたので、「外から見たニッポン」を主題とする唄で四季について歌うのは適切だと考える。

ヤオヨロズ集合(We are like 五奉行

出ました“ヤオヨロズ”。日本の神道では、自然のもの全てに神が宿っていると考えられており、この極めて数多くの神のことを「八百万(ヤオヨロズ)の神」と言う。山にも海にも田んぼにも台所にもトイレにも米粒の中にさえ神様がいるんだ!ありがたや~!という考え方。実は、この“八百万”、2008年の翔さんのソロ曲『Hip Pop Boogie』にも登場している。

 きっとずっと 一方通行

悪いが俺 先急ぐぞ

(集合)津々浦々 八百万の長

万物に宿りし神々の子

人の上 下に人作らぬなら

俺がその天の頂いただく

「しばらく…」とかでなく uh

いままず何が出来るかでしかもう変わらん

 そして、今年の宮城ライブで披露された『Hip Pop Boogie ChapterⅡ』では、同箇所がこのようにアレンジされていた。

きっとずっと 一方通行

止まればすぐ一生終了

(集合)津々浦々 神々歌うNight

Stand UP ヤオヨロズ

We come back

人の上 下に人作らぬなら

俺がその天の頂いただく

苛立つ(暇なく)舌出す(光らす)

後追いども 皆まず至らず

この『Hip Pop Boogie ChapterⅡ』と『心の空』のリリックが同時期に作詞されたとするならば、両者に“ヤオヨロズ”という言葉で用いられていることを見逃す訳にはいかないだろう。ここからは現時点での個人的な解釈になるが、“ヤオヨロズ”とは、「非常に多くの」「無数の」という無限に近い極めて多い数――ひいては、嵐に惹かれて集合するファン達のことを表しているのではないだろうか。もしそうだとすれば、“Stand UP”と煽られていることにも納得がいく。そして、その“ヤオヨロズ”の頂に君臨する神々こそ、嵐であり、櫻井翔なのである。信仰するしかない。

そして“(We are like 五奉行)”。これもなかなかに衝撃的だった。“五奉行”とは、豊臣政権下の職名であり、五大老の下、重要な政権の実務を担った五人の奉行を指す。具体的には、浅野長政前田玄以石田三成増田長盛 ・長束正家 の五人のことらしい。きちんと韻を踏みながら“五奉行”なんて日本史用語を引っ張ってくるあたり、本当に彼は根からの文系だと思うが、どうして格上の“五大老”ではなく“五奉行”を選んだのだろう。単に語呂が良かっただけという可能性もあるが、ここでの主語が“We”すなわち「嵐」であることを考えると、どうしても深読みしたくなってしまう。仮説としては、“五大老”は現代における「大臣」のような役割をしていたのに対して、実務を担当する“五奉行”は現代における「官僚」の役割であったと言えるので、彼のアイデンティティには“五奉行”の方が合致したのだろうか……と、ここまで考えてしまうとやはり深読みのし過ぎのような気もしてくる。また、もしもわたしが日本史マニアであれば、一体嵐のメンバーの誰が浅野長政で誰が石田三成なのかという当て嵌めを始めるところではあるが、残念ながら、高校時代に日本史で挫折したクチなのでみんな大好きWikipediaで仕入れた情報だけお伝えしておこうと思う。

主に司法担当 – 浅野長政(筆頭・甲斐甲府22万石)

主に行政担当 – 石田三成(近江佐和山19万石)

主に土木担当 – 増田長盛大和郡山22万石)

主に財政担当 – 長束正家(近江水口5万石)

主に宗教担当 – 前田玄以丹波亀山5万石)

 さあ、皆さんなら、誰に誰を当て嵌めるだろうか。とりあえず、財政担当の長束正家はナントカ宮さんあたりのような気がするのはわたしだけではないはず。

ずっと不動の地へと ゆこう

五奉行”であるところの「嵐」が“ヤオヨロズ”の「ファン」を導きながら、“ずっと不動の地”へと行く。では“ずっと不動の地”とは一体どこなのか。これまた難しい問題である。が、わたしの中には、彼のラップについて考えていて煮詰まったときは必ず『Hip Pop Boogie』に立ち返るという鉄則がある。そして、この場合は同時期に書かれたと推測される『Hip Pop Boogie ChapterⅡ』を参照するべきだろう。

君たちとなら歩いてく

栄光へとまだマイペース

磨いてる 未だ 磨いてる

咲いてる花たち 抱いてる

 

あんなに夢描き

今未来は瞳(め)の中に

Pass da mic. Pass da pen.

このmic and pen でRock the world

 『Take Off !!!!!』(2014年)で飛び立った嵐がファンと共に目指す、光る6の輪の向こうの“ずっと不動の地”とは、どこか。それは、天の頂であり、TOPであり、理想郷であり、そして“栄光”である。

スサノヲ散らす風防(you know)

 “スサノヲ”とは、『古事記』や『日本書紀』の中の日本神話に登場する神のこと。神名の「スサ」は、荒れすさぶの意として「嵐の神」、「暴風雨の神」とする説がある。この“スサノヲ”も実は2011年の『Rock this』で既出である。その際の歌詞は「不可能を可能 we’re like スサノヲ」――そう、嵐は五奉行の前は“スサノヲ”だったのだ。“風防”とは風を防ぐための装置のことを指すので、“スラノヲ”=俺ら「嵐」の前では、風よけなど無意味、蹴散らしてしまうよ。貴方も知ってるだろ?という感じだろうか。格好良すぎて眩暈すらしてきた。

ちなみに“スサノヲ”の姉にあたる“アマテラス”は天照大神(あまてらすおおみかみ)、「太陽の神」であり、こちらも過去の楽曲に度々登場している。

「アマテラスの頃から 俺らは地上の遥か外側」(2006年『COOL&SOUL』)

「時代 is mine 未来 is mine アマテラス照らす sunshine」(2008年『Hip Pop Boogie』)

このように、翔さんのラップ詞と日本神話の神々には切っても切れない深い関係があり、このテーマだけでも一つの論文が書けそうなレベルである。この調子なら「太陽の神」“アマテラス”のもう一人の弟とされる「月の神」の“ツクヨミ”が登場する日もそう遠くないかも知れない。翔さんは、今年の嵐のテーマは「原点回帰」だと語っていたが、彼はそもそも「原点」や「原始」というものに対するこだわりが強い人であるように思う。それは、大卒アイドル、ラップ、キャスターと道なき道を開拓していく彼の生き様からも感じられるのではないだろうか。『COOL&SOUL』で「似せてみようなら それは第二号」「ya so cute 二番煎じ」と歌ったように、彼は「パイオニア」であること、すなわち「原点」「原始」であることに気高い誇りを持っている。だからこそ、『古事記』や『日本書紀』などの日本神話への関心も高く、それがリリックにも反映されているのではないか、というのが私の持論である。

 

ここまで、『心の空』のラップ詞についての考察をとりとめもなく綴ってきた。今回のラップ詞は、単に曲自体のテーマである「外から見たニッポン」の描写だけには留まらず、ファンと共に栄光に向けてまだまだ突き進んでいこう、という「嵐」の決意表明であるように思う。去年の『Take Off !!!!!』や『Hip Pop Boogie ChapterⅡ』からも感じられたことではあるけれど、近年の翔さんは、我々ファンのことも「同胞」として、広い意味での「嵐」の一員として、輪の中に加えてくれているような気がして、それがわたしはたまらなく嬉しい。ああ。彼の紡ぐ言葉が好きで好きで仕方ない。例え今回のように教養で殴られようとも、彼の発する言葉のすべてをひとつも聞きのがさずに大切に咀嚼していきたいのだ。とりあえず、総括として言えることは、櫻井担は第二言語にスペイン語必修、『古事記』と『日本書紀』は必携です。日々是勉強。以上。